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 title:.+ひな祭り+.

2007/02/28(水) 08:54:56
メロパでもすっかりひな祭り一色ですね☆
そこでチョットひな祭りについて調べてみました。

38-1.jpg


日本では和暦(太陰太陽暦)の3月の節句(上巳)である
3月3日(現在の4月頃)に行われていたが、明治6年(1873年)1月1日の
改暦以後はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日行なうのが一般的である。
しかし一部では引き続き旧暦3月3日に祝われる。旧暦では
桃の花が咲く季節になるため桃の節句となった。

男雛と女雛を中心とする人形を飾り、桃の花を飾って、白酒などの
飲食を楽しむ節句祭り。関東雛と京雛では男雛と女雛の並ぶ
位置は逆。本来「内裏雛」とは雛人形の男雛と女雛の一対を指すが、
男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶ誤りは一般化
している。三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を
「共揃い」という。

日本の雛祭りはいつ頃から始まったのか判然としていないが、
その起源はいくつか存在している。日本での起源は、平安時代に
すでに京都の上流階級の平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として
行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり
小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと
考えられている。しかし、それはどこまでも「遊びごと」であり、
決して儀式的なものではなく、そこに雛あそびの名称の由来がある。

これが江戸時代に女の子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と
結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。
この「雛あそび」が「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降の
ことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うように
なったと推測されている。もっとも、この時代には飾り物としての
古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的
意味あいが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の
重要な家財のひとつに数えられていた。その為、自然と華美になり、
贅沢に流れるようになっていった。

江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の立ち雛や、坐った形の
「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の
内裏雛を飾るだけの物であった。その後時代が下ると人形は精巧さを
増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが
作られたが、これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた
豪勢なものだった。この享保年間、人々の消費を規制するため
一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されたが、この
規制を逆手にとって、「芥子雛」とよばれる数センチの大きさの
精巧を極めた雛人形が流行することになる。江戸時代後期には
「有職雛」とよばれる宮中の雅びな衣装を正確に再現したものが
あらわれ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。
この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは二人だけの内裏人形
から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや
小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも
大きくなってゆく。



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